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2016-08-20

~わたしたちの決まりごと~

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祭壇に供えていた蘭の花が茎から落ちて、
お気に入りのガラスの器にのせたら、とても良い感じ。
もう一度楽しませてもらった。

このお盆は、家族でお墓参りに行き、
墓石をゴシゴシ洗って、ピカピカに磨き上げ、石にわたしたちの姿がくっきりうつるくらい。
おじいちゃんやニャンコ、ワンコたちも嬉しいだろうな。
汗を流して、ピカピカに掃除することは なんと清浄なことなのだろう。
まるでわたしの中も一緒に掃除したように、清々しい。

お墓の掃除をしながら、落ちた蘭の花を見ながら思うこと。
わたしも、花も、全てのものが 死に向かっている。
ついつい忘れてしまうことだけど、
それが生きとし生きるものの決まりごとなのだ。

変えられない 先にある「決まりごと」を迎える日まで、毎日は繰り返される。
その日まで、たくさんのことを経験して、楽しんで、苦しんで、悲しんで、味わって。

そうして いつか迎える最期のとき、その全ての体験を慈しむのだろうか。

願わくば、「死」というものが
こんな風に心を込めて掃除をしたときのように
清々しいものでありますように。

———-

なぜなのだろう
「今日」の「死」という
とりかえしのつかない大事がまるで
なんでもない「当り前事」のように毎日
毎日くりかえされるのは つまりそれは
ボクらがボクらじしんの死をむかえる日に
あわてふためかないようにとあの
やさしい天がそのれんしゅうをつづけて
くださっているのだと気づかぬバカは
まあこのよにはいないだろうということか

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最近読んでいる、
まど・みちお さんの 百歳日記の中「れんしゅう」より抜粋

Camatkara yogini 慈香

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