モノの生命
元来お洋服や雑貨が好きで、ついつい集めてしまうのですが、
(特に布やカゴ、染めモノ、手仕事、インドの雑貨にはときめきます!)
先日藍染めを体験させていただき、
モノとの付き合い方を改めて考える機会となりました。
講師の先生が仰っていた、
「多く、安くモノを持つ、ではなく、
汚れなどで着れなくなってしまった衣類を染めることで、もう少し長くそのモノと付き合ってみる。
今着ているモノは誰かの手が必ず加わっていて、もっと言えば、その人の人生が関わっている。」
頭でわかっていたであろうことも、
人の言葉を通して聞いたことで、
深いところに響きました。
例えば欠けてしまった食器を金継ぎするのも、染みになってしまったモノを染めることも、サイズが合わなくなってしまったセーターを解いて他のモノに編み直すのも、モノが少なかった時代に、より長く大切に使う為の知恵ですね。
金継ぎや藍染めをしてみて感じたことは、そのモノに新しい生命が吹き込まれるということ。
なんというか、初めてそのモノと出会ったときのときめき、いえ、それ以上にピカピカと輝いて見えるのです。
沖縄のおばさんが言っていた言葉を思い出しました。
「わたしたちの時代はモノを持つことがステイタスだったけれども、今は少しを大切にして暮らすという風になってきてるのはとても良いと思う。」
そしてうちの母の言っていた、「戦後の資本主義の申し子よ、私たちは。」というのには大笑いしてしまいました。
浄化の話しも似ているなあと、ふと思いました。
月の光に当てることや、
香を焚いて清めること、
そうやって大切にしていったモノには、
生命が宿るような気がします。
そして、大切にすることは
自分に余裕がないとできない。
ついつい急いでいると足で扇風機のスイッチを切ってしまったり…と書いていて思い出しました。。。
丁寧に、
そこに心を置くこと。
できないときこそ
それをすることで、逆に心にゆとりができたりします。
塩や水で場や自身を清めることや、
モノへの感謝、
糠床を毎日混ぜて育てること、
いただきます、という言葉。
それは、そこここに神様が宿っているという日本人のスピリットにある考え方ではないでしょうか。
モノを大切にすることは、
自分を大切にすることに繋がる気がしています。
写真は藍染めによって生命を吹き返した、わたしのアルパカのストール🦙
Camatkara yogini 慈香
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