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2019-07-15

「自然」あるがままであること


人はコミュニケーションを必要とする生き物で、その中で喜びを感じたり、満たされたりします。
反面、上手くいかず心がざわついたりすることも。

そのときわたしには何が起こっているのだろう、と 観察することを最近 習慣にしています。

それは心地良い作業ではないので、苦しくなったり、目をそらしたくなったりもして。
でも そこに留まっている、
問題をそのままにすることは、
より大きな問題に繋がっていくような気がします。

観察していて思うのは、
わたしはこうだ、
あの人はこうだ、と
時に
裁いていたり、
時に
退けたりしていて。
わたしと他者とをを切り離している、ということが起きていました。

さらには、わたし自身からも離れてしまい、すっかり その感情の虜になっている状態です。
その感情はなかなか手放せない。
モヤモヤとしたものを抱えているようで、
お腹の底が重く感じました。
どうしたら…どうしたら…いいのだろう…と
その感情を探っていく作業は、
やはり苦しく、
時間が必要だったりするのでしょう。

娘はまだ他者に対して、
この人はこんな人だというような目を持っていません。
他者に嫌な感情を抱くこともなく、
他者が自分に嫌な感情を持つことがあるとは思ってもみない、
誰も裁かず、
あるがままを受け入れる、
自分もあるがままでいる。
わたしには そんな風に見え、
そんな娘の振舞いが、
ヒントになりそうです。

自身から離れてしまったのだから、
全体性を取り戻そう。
ゆっくりと体 全体を感じてみる、
思考や感情を追求せずに、
少し離れたところから、
「わたし」を見守るということを 今は実践しています。

最近知った言葉です。

「自然」
「じねん」と読むそうです。

あるがままであること、
本来そうであるということ。

この言葉が とても 心に残っています。

Camatkara yogini 慈香

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